やほ。生と死のはざまを生きる男、いっべーです。
今日も仕事に向かうべく国道走ってたら渋滞に巻き込まれましてね。この渋滞何とかならないもんかと思いながらチンタラ走ってたら、後ろから「ゴッ」って衝撃が。
なんかね、後ろから追突されたみたいなんだけど、別にどうってことなかったのね。このときは悪質な嫌がらせか?とか思ってたんですよ。
先日、帰宅時は規制速度に限りなく忠実に走るのが楽しみだ、みたいなこと日記に書いたけど、今日は渋滞なわけだからさ。
チンタラ走ってるのは俺のせいじゃないのに、渋滞にイライラしたドライバーが腹いせにぶつけたのか?とか思ったわけ。
だってフツーぶつけたら車おりてきて「すいません」の一言ぐらいあってもよさそうなもんだけど向こうは微動だにしなかったから、確信犯だと思うじゃない。
でも衝撃も大したことなくて、傷ぐらいはついたかもしれないけど車に触った、程度のものだったし、ここでいちいちモメるのもめんどくさかったのね。
ほら、僕は植物のように平穏に生きることが幸せな人だから、相手に責任追及できたとしてもゴタゴタするぐらいなら何事も無い日常を送りたくて、なかったことにしちゃったわけ。
で、しばらく走ってたらなんか後ろの車すげーヨタヨタしてんの。
あぶねー、もしかしてさっきの、いやがらせじゃなくてただの居眠り運転だったんじゃねーか?
とか思いつつ次の信号で停車した刹那ですよ。
どかーん。
ずごーん。
ばこーん。
後ろから追突されました。
今度は無かったことにできないほどの衝撃です。
頭洗ってたら大量の髪の毛が指に絡みついていたのを見たときと同じくらい、無かったことに出来ない衝撃ですた。
あっちはブレーキ踏んでなかったんだろうな。僕の車は完全に停止してる状態で、ぶつかって跳ね返ってもあっちの車は前に進もうとしてるから2~3回衝撃があったわけ。
やられた。
やっぱりやられた。
わかってたのにやられた。
「事故には気をつけてね」ってよく言うけど、あれはどーやって気をつけたら回避できたんだろうか。
しかし今回事故に巻き込まれて何が一番怖かったかって俺自身の冷静さだね。
どかーんとやられて、
「・・・・・」3秒ぐらい考えて、
「さてと」
ってな感じで車降りて、まあそんな感じ。
ちょっとしたことでいちいちへこむのもつらいと思うけど、自分のことに関して危機感がなさすぎることがたまに怖くなるな。
例えば怪我をして体に痛みを感じるのは身の危険を本人に知らせるために体がそうできてるんだろう。
危険信号ってのは生きていくために必要だから痛みとかになって感じるもんだけど、肉体じゃなく精神面においては、恐怖とか緊迫感とかそーいうのを全く感じないらしいな俺は。
何も感じないって、ラクなようで結構酷だ。
だって自分の腕が変な方向に曲がってるのに痛みが無かったらそれはそれで怖くね?そーいう状況が心の面で起こってる。
つまり不幸が起こりすぎ。
慣れるべきじゃないよ不幸なんてのは。
つらかったり怖かったりっていうのは身の危険を知るために必要なことなんだ。つーことでいつか自分が限界ぎりぎりにいることに気づかなくて俺の心がつぶれたりしないように祈っててくだちい。
怖かったりへこんだり傷ついたりするっていうのは心が健全な証拠だ。
もし君たちがどうしようもなく落ち込んだりしたときはそう考えるといい。
異常事態が発生しても何も感じなくなったとき、それが本当にヤヴァイ時だ。
あ、ちなみに怪我(外傷)は無いです。
でも頭がフラフラするので一応明日病院に行きます。
今日は整形外科がどこも休みだったのでね。
ない。信号は無意識に見てるかもしれないけど、通った後でまた信号のことを考えたりしない。この延長は「カギかけたっけ」と何度も確認しないと気がすまない強迫神経症か!?
> 右折するとして、確かに左側を確認してからアクセル踏んだのに、道路に出てからクラクション鳴らされて、「ええっ!?」って思ってバックミラー見るとすぐ後ろに後続車が来てたりすること
ないなあ。米国では右と左逆だけど。車が何かに隠されていて見えなかったとかじゃない?信号ないところではそんなに向こうもスピード出せないはずだし。