■限界エブリデイ■

人生の足跡。

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2010/03/08 02:05
人間 介護はゴールが見えないマラソンだと誰かが言った。 

難病の母を背負い毎日出勤&商談、周囲のサポートで「業務に支障なし」。

以下転載

“親孝行”は子どもにとって永遠のテーマ。「亡くなってからでは遅い。今のうちに親孝行をしておくように」とはよく言われるが、だからといって「どのような孝行をすれば良いのかわからない」というのが、多くの子どもたちの本音かもしれない。先日、中国では、河南省に暮らすある男性の“親孝行”が話題となった。少し変わった“親孝行”の仕方に賛否は分かれているが、当の本人たちは幸せな生活を送っているという。

中国紙鄭州晩報によると、李平恒さんは不動産会社を経営する39歳の男性。毎朝6階の自宅から母親を背負って出勤するのが日課だ。自宅マンションにエレベーターはなく、階下までは休みを挟みながら階段を下りている。

李さんのこうした生活が始まったのは今から5~6年前のこと。母親は今年で75歳になるが、1994年にパーキンソン病を患い、不自由な生活を強いられるようになってしまった。夫に先立たれた後、母親の症状はさらに悪化し、ほとんど身動きができない状態に。そして、そんな母親を不憫に思った息子の李さんが思い付いたのが、母親を連れて出勤することだった。

李さんはいつも病気で横たわっている母親を見て「身体に良くない」と判断。母親を連れて出勤するだけでなく、会社の顧客と会いに行くときも母親を背負って出向くという。李さんは当初、顧客がこんな自分たちを受け入れてくれるか心配していたそうだが、幸いにも支持してくれる人が多く、これまで問題なく業務をこなしている。社員も李さんと母親をさまざまな面でサポートしてくれるそうだ。

こうした一連の行動について李さんの姉は「兄弟の中で彼が一番親孝行ですよ」と語る。かつて母親は兄弟の家を順番に回って過ごしていたが、李さんと過ごすときが一番心地良かったようで、今は李さんの家が中心に生活。夜中に母親が呼べば、李さんはすぐに目を覚ますそうだ。

ある社員は「最初は皆驚きましたよ」と、やはり戸惑った時期もあるらしい。しかし、理由を知った社員は納得。毎朝8時に出勤するだけでなく、退社時間後に母親を一度家に連れ帰り、その後、また会社に戻って残業する李さんの姿に、敬服しているという。こうした生活に不平不満を一切こぼさない李さんは、社員にとっても尊敬できる頼もしいリーダーであるようだ。

この“親孝行”の話題が中国メディアで伝えられるや否や、多くの中国人から激励の声や、称賛する声が各所で上がった。しかし同時に「なぜ家政婦を雇わないのか」「母親にとってこうした生活は辛いのではないか」とその対応に疑問の声も。これに対し李さんは「このようなやり方が母親にとって一番良いと思う」と、自らの行動を変える気はない意向を示し、外に連れ出すことは「母親の願いでもあった」ことも明かしている。

また、家政婦については「身体の面倒は見てくれる。けれども心のケアはしてくれないかもしれない」。李さんの経済力ならば3人の家政婦を雇えるそうだが、周囲の助けを得ながら、今後も李さんなりの形で“親孝行”をしていくつもりだ。

・・・まあ、賛否両論ってことだそうですが、
僕は別に「否」とまではいかないけど、
まぁ確かに一概にこれが一番望ましい姿なのかっていうとそうとは限らないんだろうなっていう風にも思うね。

「否」の声の中に「母親にとってこうした生活はつらいのではないか」というのがあるね。

具体的に何がつらいのか触れられてないけど、
職場まで運ばれたりすることが高齢の母親にとっては体力的につらい、ということが言いたいのかな。

僕が感じたのは、息子にここまで負担をかけてしまう親の気持ちとしてのつらさがあるんじゃないかなってこと。

すでに他界している僕の弟も先天的な障害を負っていて
僕も子供の頃からその介護に携わって来たんだけど、
弟と親に言われた言葉があって、今も心に残ってる。

「家族の為に『協力』はしてほしい。でも『犠牲』にはならないでほしい」

家族の為に、出来ることは全てしてやりたい、と思うことを前提にするなら、
どこまでが協力でどこからが犠牲になることなのか、
その判断は、若かった僕にとっては少々難しくてね。

いや、きっと今でも明確な答えは出せないだろうな。

むしろ、出来ること全てをしようとしても足りないんじゃないかっていう思いにかられたり、
だけどそうやって苦しむ姿っていうのは、弟当人や両親が一番見たくないものなんだよね。

結局のところ、どうすることが一番正しいことなのかもわからず、
ただ暗闇の中を孤独に闘う感覚に襲われる。

障害や難病って無数に起こってるわけで、
その数だけ、苦労や悩みは存在する。

パーキンソン病っていうのはまったく別の問題であって、
介護経験者っていうだけで僕がそのことに言及できる立場ではないのかもしれないけど、
そして「協力」と「犠牲」の境目がどこか、っていうのはわからないけど、
この記事に掲載されてる内容に関しては「犠牲」の域に含まれてるような印象を受けるんだよね。

息子さんにとってはそうでなかったとしても、
母親から見れば、少なからず過度の負担をかけてしまってるって
思わずにはいられないんじゃないかな、とか感じた。

パーキンソン病については僕はあまり詳しくないので
今ちょっと調べてみたんだけど、
認知症を伴うものもあるみたいだから実際は
そういう思考まで至らないケースもあるのかもしれないんだけど。

介護をする上で重要なのは、
要介護者を憐れみの目で見ずに、
他の人と対等な視線で接することだと僕は思うのね。

「介護が必要な身体だから介護してあげる」
じゃなく、
「家族が力を必要としているから協力してあげる」

同じ意味に聞こえる人も多いかもしれないけど。

自分の生活を大切にし、出来る範囲で出来ることをしてあげる、っていうのは、
自分を休ませる為だけじゃなくて、
介護をする側にとっても介護をされる側にとっても
双方にとって重要なことだと思うわけ。

まあ、言葉で言うのは簡単で、
当事者っていうのはとにかく必死なわけだから、
僕が冷静に理屈を並べたところで、理屈だけでは測り知ることの出来ない領域なんだけどね。
実際、僕も犠牲と協力の境界線が見極められず、
負担がかかっていなかったと言えば嘘になる。

でも、この息子さんには、前述した心構えを心の片隅にとどめてもらうだけでも、
双方の負担っていうのはもう少し軽減できそうな気がするんだよね。
▽コメント一覧(4)
少し違ってしまうかもしれないけど…
ちょっとコメントさせてね。

私の父親も難病で亡くなっていてね…

段々身体も動かなくなるし、言葉も不自由になり、
時々意識も曖昧になって来る。
まぁ、病気の進行とともに、仕方ない事ではあるんだけど…

でね、気になるのが

医者とか、世話する人の態度なんだが、

大の大人に向かって、

「よく頑張ったね~。お薬飲もうかぁ~」

って、まるで子供扱い。

老人ホームとかでも見かける光景なんだけど…


例え、身体も動かず、
言葉もままならないからと言ってね、

相手は、あなた方よりだいぶ人生を歩んだ先輩です

その子供扱いはいかがなものか…と。

年下の人が年上の友人にタメ口をきくのとはまた違う感じの…


父親は人一倍プライドが高かったから、


態度にあらわす事すら出来ない状態だったけど、

多分、耐え難い屈辱だったんじゃないかってね…


あんまり、泣いたりしなかったけど、
その時ばかりは悔しくて泣けてきてね…


ふと、そんな事を思い出したよ。

ちゃんと相手を見なくちゃ、
相手の事を考えてる「つもり」に
なってしまうんだよね…


介護がゴールの見えないマラソンていうのもね…


父親が病気になってから、
確かに家族の負担は増えたけど、
それで強くなった絆ってのもあるから、
一概に…辛いばっかりじゃなくて…
(まぁ、あたしはそんなに大変な思いはしてないけど…)
でも、確かに
父親が亡くなって
ぽっかりと何か穴があいたような感情と共に

何かから解放されたような
父親も苦しみから解放されたかのような
安堵にも似た気持ちが同居してたような気はする…

父親の死がよかったとか
そういうのでは全然なくて。


[ 2010/03/09 01:58 ] [ 編集 ]
患者によっても千差万別だから一概に断定はできないけど、
おそらく高齢者とか患った病の容体の影響で
一定のコミュニケーションレベルを保てるかどうかによって、
多分言葉づかい云々よりも感覚に訴えた方が患者も
受け入れやすいっていうのもあるんじゃないかと
僕は思いますけどね。

だから傍から見ると子供扱いのよーに見えたりとかするんだけど、
それは共に過ごした家族の尊厳の問題であって、
患者当人にとってそれを必要とするケースもあるなら、致し方ないのかもしれない。

特に上から目線になったり小馬鹿にしてるわじゃないだろう。

ただ、それが万人に当てはまるとは限らないし、
それをよしとするものか(それが必要とするケースなのか)なんてのは
多分相手も神様じゃないから見極めるのは困難なんでしょうな。

だけど、弟は身体の筋肉が弱くても精神や意識はしっかりしてて
僕よりも大人だったのに
そーいう扱いを見て僕も正直、弟の時にキミさんと同じこと感じましたけど。

コミュニケーションはそこらの凡人よりもしっかりしてんのに
障害を負って弱い立場にいるってだけでこの扱いか、って感じたのは事実ですな。

でも彼らは僕たち家族と同じ時間を過ごしてるわけじゃないから
そこまで測り知れるところじゃないんだろう、って即座に悟って、
わかってもらおうとする気力ももったいないって結論に至り。
しょせん人なんてわかりあえないってことは僕はだいぶ昔から悟ってもいたので。

これは相手の配慮が足りないとか批判するわけじゃなくて、
致し方ないことなんじゃないかなと。

相手の心が読める仙人でもない限り。

実際、症状とかによっては思考が子供に戻るケースも多いから
どうしても傾向の多い方に標準が合っちゃうんでしょう。

でもまあ、アレですね。
言葉づかいより感覚に訴える必要があるとしても言えるのは、

確かに子供相手みたいに話すのも、度が過ぎるのはつぶしが効かないですよね。

正直、敬語までは必要ないと思います。
丁寧語を徹底しろとも思わないんですが、
口調としてはお店の常連さんみたいに、
ごく標準的な丁寧語くらいで接するのが一番いいんじゃないかな。

それでも万人には受け入れられないだろうけど、つぶしが効く気がする。
[ 2010/03/09 14:42 ] [ 編集 ]
言いたかったのは
本当に「子供扱い」だったの…
赤ちゃん言葉にこそなってなかったけどね

いっぺーさんが言ってるのは、
例えば
耳の遠い人には大きな声で話す

日本語がワカラナイ外国人には
ゆっくりと、そして、なるべく簡単な言葉を選んで話す。

みたいな事だよね?
違うかな…


私が見た光景は

「どうせこの人には聞こえてない」
「どうせわかりっこない」

だから、「この程度のコミュニケーションでオッケー」

って感じだったの。

だから悔しかったの。

タメ口きいてる介護士さんでも、
とても感じの良い人は実際に居たし…


なんか…長々とゴメンねぇ
[ 2010/03/09 23:21 ] [ 編集 ]
うーむ、いや、僕もそれについてコメントしたつもりだったんですが。
[ 2010/03/11 23:11 ] [ 編集 ]
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